紅茶の歴史
紅茶、ウーロン茶、緑茶はすべて同じ茶の樹。今では世界にあるが、もともとは中国の雲南省とインドのアッサム地方にしかなかった。しかし、アッサム種が発見されたのは19世紀になってから。その前までは、お茶は中国産しかなかった。しかも紅茶ではなく、茶だけしか飲まれていなかった。
緑茶も紅茶も、もともとは薬として飲まれていた。中国の伝説では、紀元前2737年から飲まれていたとなっている。7から9世紀の唐時代も緑茶のみ。しかも、王侯貴族しか飲めない特別なもの。国外には秘密であった。紅茶が登場するのは、10から13世紀の宋時代。このときに、茶はアジアのいろいろなところに広まった。日本では、このころに茶の種子が入り、栽培が開始された。
1610年、オランダの東インド会社によって、西欧にも茶が伝わった。しかし紅茶ではない。緑茶である。イギリスが中国から茶を輸入できたのは、1689年となる。イギリス東インド会社が、福建省アモイから茶を流通することになった。アモイにある茶は、紅茶に似ている半発酵茶であった。そのためイギリスでは緑茶より紅茶が飲まれて、独特の紅茶の文化が作られたのである。
1733年、ボストン茶会事件。嗜好品の茶が、イギリスと植民地アメリカの独立戦争へのきっかけとなった。
1823年、イギリスのブルースがインドのアッサム地方の茶樹を発見。中国種とは違う種類。
1845年、紅茶と緑茶は製造方法が違うだけ。原料は同じ茶樹とわかる。このことに
よって、中国種とアッサム種との交配がすすめられた。その結果、インドやスリランカなどで茶の栽培が始められることとなった。
日本では、明治の中頃から新しい飲み物「紅茶」が、洋行帰りや西洋好きな人々のあいだで流行。それより前に製造をしていたが、同じ時期にインド紅茶とセイロン紅茶の人気に押された。そのために、勢いが衰えてしまったのである。1906年には、紅茶が市販された。